2023.2.5.(日)
昨日は亡き母のお誕生日でした。
わたしは、正真正銘の1月1日生まれ。
実は、母も、同じく『新しい年のはじまりの生まれ』だったと気付いたのは、4年前に母が亡くなったあとからでした。
わたしも元日生まれにちなんだ名前をつけられましたが、母も、『年越しに生まれた』から、トシコなんだと、昔おばあちゃんから聞いた事がありました。
年越しに生まれたからトシコ。
そんな節分に、わたしは幼い頃から毎年必ず、あびこ観音さまに家族でお参りをして来ていました。どんな時もどんな年も欠かした事なく、詣り続けて来てました。若い頃はとびきり病弱だったわたしはいつも、
『来年も家族みんなで来れますように‥』
と、お祈りし続けて来ていました。
そんなあびこ観音に、昨日は息子と2人で行きました。
着いてまずするのはお線香を買い求めて、火をつけ灰に据え、煙をかぶること。
頭から、肩〜胸、あたりまで、煙を引き寄せ浴び、無病を祈ります。
それからは本殿にてお詣りをし、そのあと、本殿の左側からぐるりと本殿の後ろを回って行きます。初めは弁財天様。ご真言を唱えながら、また来れたお礼を伝えます。
そらから小さな祠すべてに感謝を述べ、最後は賓頭盧さんです。
コロナ禍前までは、ここでしこたま賓頭盧さんの身体を撫でておりました。賓頭盧さんの頭を撫でては、その手で自分の頭を撫で、目を撫でては自分の目を撫で‥‥病弱だった私には殊更念を入れて向かう場所で、それこそ頭の先から脚まですべてを撫でさせていただいておりました。
いまは、静かにお賽銭を投げ入れ、お礼をお伝えするのみです。
それからは護摩炊きの御祈祷を受けるのですが、今年はそれは受けずに御祈祷の様子だけを眺めて終えました。
かつては参道には賑やかに露店が出ていて、それも楽しみのひとつだったのですが、コロナ禍からはガラーーン。わたしが幼い頃からいらした、あの名物の『しょうが飴伸ばし』のオッチャン(親しみを込めています(笑))はご健在なのでしょうか。
こんな風に、わたしが幼い頃から(どちらかと言うとしっかりめに)親や目上の方々から教わって来た事、学ばせてもらって来た事、わたしはどれだけ子供たちに伝えれているのだろうかな。
日々の作法。
季節の行事の迎え方。
伝統行事の迎え方。
人様への感謝の伝え方。
昨今は、イベント的にハード面は強化されているように思えますが、その内側、ソフト麺は簡略化されたり、意味の継承は、なされていなかったりするように見受けます。
こんな事を言うと、あたかも年寄りだからーーの扱いされるのでしょうね。
今の時代は、
楽しければいいのかな。
わたしは自分の子供以外にも、こころをかけているお子さん方が複数おります。
以前は我が子同然に全身全霊で向いておりましたが、あるとき、温度差を感じ、さみしさと悲しさを感じてしまい、じっくり自分をみつめた結果『あぁ、わたしが1人で必死に向きすぎてたんだな』と気付き、今はその思いの量や厚さをぐっと下げて向いていますが、それでもやはり、たくさんのこと、伝えてあげたいな、と思いこころを尽くしています。
お正月にはこんな風にするんだよ
七草粥、鏡開き、ていうのはね。
節分の意味はね。この食べ物を食べるんだよ。
お雛様にはこれを食べるよ。
端午の節句は菖蒲湯だよ。
桜餅は土地で違うんだよ。
土用のうなぎはね。
牡丹餅とお萩のちがいはね。
神無月てね。
暦はね。
冬至にはゆず湯に入るよ。
師走の意味はね。
お餅つきは29日にはしないんだよ。
しめ縄の意味はね。
これら以外にも、季節の食べ物、その調理の仕方、使用する食器の種類、焼きものの違い、キリがない生活の様々な事を伝え、実践をして来ました。
どのくらい、子供たちに響いたかはわかりません。
とりわけ、実子ではないお子さん達には通りすがりに聴こえる音楽のようなものかもしれません。
でも、その瞬間だけでも喜んでもらえたなら、それでいい、と思っています。経験値としてわずかでも残っていたら、なおありがたいです。
それに、今の世の中では
それらを知ったからと言って、どうなるわけでもなさそうです(^^)
その価値も美しさも、なくても生きてはいけるものたちですからーー。
でも
日々のささやかなメリハリと、
【特別】をよろこぶ心には、
とてもありがたいものたちなのではないかと、わたしはやはり、思っています。
来年も、あびこ観音さまに詣れますように。