キャマママ🕊ママネ

どこかの誰かに届きますように。。🕊🌱

ひとは、じぶんを生きるのよ😉

2024.2.22.(木)

 

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ひとは、じぶんを生きるのです🌏

 

 

 

ひとは、ひとと、生きているのですが

 

そして、もちろん

 

いまの社会の枠の中では、ひとりで生きることは

 

かなり難しいのですが、

 

 

それでも

 

『見た目』は、『ひとと生きている』ように見えていても

 

本当は

 

ひとは、じぶんを生きている【だけ】なのです。

 

 

・じぶんが、見て

 

・じぶんが、感じて

 

・じぶんが、選んで

 

・じぶんが、好んで

 

・じぶんが、嫌って

 

・じぶんが、食べて

 

・じぶんが、味わって

 

・じぶんが、笑って

 

・じぶんが、泣いて

 

・じぶんが、怒って

 

・じぶんが、痛んで

 

・じぶんが、やめる

 

 

んです。

 

すべて、です。

 

 

つまり

 

 

わたしたちは、じぶん【を】、生きているの

 

です。

 

 

それは、言い換えると

 

 

じぶん【と】、生きる

 

 

に、他ならない、のです✨✨✨✨

 

 

 

1番の理解者

 

1番の友達

 

1番の仲間

 

それが、  【じぶん】  🌏✨💕

 

 

 

 

むぃ道

 

2024.2.15.(木)

 

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ほぼ1年ぶりの投稿となりました🍀

 

時間の速さに

ビックリΣ੧(❛□❛✿)

 

世の中は色々と不穏な出来事がよくありました‥

 

でも、厳しい環境の中にあっても、

わたしたちひとりひとりのこころは

やわらかく、おだやかに、あれるといいです。

 

さて。

 

わたしの生きる指針のご紹介🕊

 

その名も【むぃ道】 笑笑

 

記します🌞

 

 

🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊

 

 

【むぃ道】

 

ご機嫌道。


どんな時も幸福感にもどる道。

 


❶   機嫌よくあれ


❷   しあわせな解釈を


❸    『それも然り』のココロ


❹    だから? so what?


❺    他者を 否定をしない

 

❻    「本当のことなんて、わからない」

  を心得る


❼    今日も生きている!


❽    どの自分でいたい?


❾     微笑めえば、いい。
  ひとは微笑めるから

 

➓    もがきたかったら、もがく
  悟りたかったら、悟る
  どちらでも、お好きな方を


11   あなただけじゃない
  わたしだけじゃかい
  みんなそうだから


12   わかっちゃいるけど、やめらんない!
  大丈夫、
  かならず変われます☆


13   それでもつらいときは、

  とにかく自分を俯瞰しよう( ◠‿◠ )

  自分を自分の友達と思って、眺めてみよう♡


14   そして

  すべてをおかしがれ    

 

 

 

🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒🕊🫒

 

 

キモチが楽になる秘訣です💓

 

 

Tちゃんへ

妄想上手は、生き上手👍

すぐ、出来ますで〜〜🥰

 

春、春、春ーーっ

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2023.3.12.(日)

 

 

春です。

 

ずいぶん前から、寒さの中にも春の気配がありました。

 

数日前から、春めき始めていました。

 

 

そして、昨日、今日。

 

春っ‼️

 

春も、春、でございます。

 

(花粉えげつなくて、顔はたいそうツライですが💦)

 

 

今日は暑いほどでしたし

 

お出かけ日和この上なかったですが、

 

残念ながら、わたしはお家の中に張り付き‥‥

 

ホント、残念さをかみしめた日曜日でした。

 

 

ついでに言うと

 

わたしの孤独さ際立つ心持ちは

 

なんど春を迎えても、かわることなく。

 

すべてはこころの在り方のせい。

 

とは言え

これでも実は、こころは随分変われていて

 

嘆かなくなったし、悲しみに沈んだままではおらなくなったし、なんなら笑顔で過ごしてはいるのだけれど。

 

なんせ

自分の事で楽しめない。

何十年間変わることない、この質に

 

ホントにガックリ、ガッカリな日々。

 

 

もったいないんだけれどナ

 

いのちの煌めき

 

もったいないんだけれどナ

 

なくなっていく時間。

 

 

今日はここ数週間続いていたがんばりが、効かない日。

 

もっと、自分のことで楽しみたい

 

もっと、自分のことに夢中になりたい

 

わたしの周りの人たちのように

 

自分に一番興味を持ち、自分に望んで時間をかけ、自分を豊かにしていける人たちのように

 

 

こころから、なりたいのです。

 

でも

頑張っても

頑張っても

カタチだけ。

本当には、楽しめてない。

 

ダメだな、ホント。

 

残念すぎる。

 

 

日曜日にすみません、こんな話で本当に(^_^;)

 

 

そんな今日は、ハイブランドの広告で、こぞって書かれているほどの金運日だそうです。

とあるハイブランドがこんな広告の打ち方をし出したつい1〜2年前には驚きましたが、いまでは有名なブランドはほぼこの販売戦略で、金運日にお財布の新調を促しておられます。

 

今のところ一歩も家を出ていないけれど、おまけに日も暮れかかっているけれど、

あとで何か縁起をかつぐことをしておこうかな。

 

 

早すぎる‥‥

2023.2.28.(火)

 

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ひとつきの

 

なんと、はやいことよ。

 

 

早過ぎます、本当に。

 

 

みなさんは、日々どんな風に生きられてるのでしょう。

 

 

わたしは

 

たくさんのことが今も次から次へと起きる毎日で、

 

退屈することなどまるでなく

 

また、

息つく暇もないほどに

 

日々を慌ただしく生きております。

 

 

こうして過ぎていく1日1日が、

 

本当に、おしく、いとおしく。

 

ほんの10年ほど前までは、弱い身体で、すぐ寝込んで、素晴らしい季節も、風も、この世界からも、離脱し閉じこもっていることが多かったわたしには、

 

劇的に健やかになったこの身体をもって、

 

1人でそとを歩けてること

 

苦しくも、つらくもなく、呼吸ができてること

 

太陽を眺めれてること

 

世界を眺めていること

 

すべてがすべてが

 

ありがたく、ありがたく

 

『あぁ、ありがたいーーっ』

 

と、こころの声が漏れてしまうあぶない人。

 

 

でも

 

心がつらいことは、やっぱりあって

たくさん、あって。

 

悲しいことも、さみしいことも、

その感受装置が精巧すぎるばかりに

感じることが、たくさん、あります。

 

くやしくて

ざんねんで

みじめで

はらだたしい、きもち。

 

やりなおしたいきもち

こころを入れ替えたいきもち

 

そんなのもまた

 

沈澱しています。

 

 

これは、ニンゲンというものが、

洋の東西を問わず

何千年も、何万年も、体験しては、消えていったこと。

めずらしくも、とくべつなことでもなく、

いつも、生まれては死にゆく魂が、感じて来た

当たり前のこと。

 

 

自分も【もれなく】おなじ道をすすんでいる。

傷みながら、泣きながら、

笑いながら、満たされながら

 

なんのことはない

誰もが通り、通って来た道。

 

 

よろこびも、痛みも、かなしみも、ゆたかさも

 

ぐちゃまぜで、ぐちゃまぜで、

 

愛し、愛され、

どかし、どかされ、

忘れ、忘れられ。

 

混沌のまま、日々を暮らすのです。

 

 

言いようのない安らぎと

 

言いようのない落胆と。

 

 

オリコウサンは、ないまぜなこころに

 

なんとか自分を収めたいのです。

 

 

 

伝えられ、そして、伝え

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2023.2.5.(日)

 

 

昨日は亡き母のお誕生日でした。

 

 

わたしは、正真正銘の1月1日生まれ。

 

 

実は、母も、同じく『新しい年のはじまりの生まれ』だったと気付いたのは、4年前に母が亡くなったあとからでした。

 

わたしも元日生まれにちなんだ名前をつけられましたが、母も、『年越しに生まれた』から、トシコなんだと、昔おばあちゃんから聞いた事がありました。

 

年越しに生まれたからトシコ。

 

 

そんな節分に、わたしは幼い頃から毎年必ず、あびこ観音さまに家族でお参りをして来ていました。どんな時もどんな年も欠かした事なく、詣り続けて来てました。若い頃はとびきり病弱だったわたしはいつも、

 

『来年も家族みんなで来れますように‥』

 

と、お祈りし続けて来ていました。

 

 

そんなあびこ観音に、昨日は息子と2人で行きました。

 

着いてまずするのはお線香を買い求めて、火をつけ灰に据え、煙をかぶること。

頭から、肩〜胸、あたりまで、煙を引き寄せ浴び、無病を祈ります。

 

それからは本殿にてお詣りをし、そのあと、本殿の左側からぐるりと本殿の後ろを回って行きます。初めは弁財天様。ご真言を唱えながら、また来れたお礼を伝えます。

 

そらから小さな祠すべてに感謝を述べ、最後は賓頭盧さんです。

コロナ禍前までは、ここでしこたま賓頭盧さんの身体を撫でておりました。賓頭盧さんの頭を撫でては、その手で自分の頭を撫で、目を撫でては自分の目を撫で‥‥病弱だった私には殊更念を入れて向かう場所で、それこそ頭の先から脚まですべてを撫でさせていただいておりました。

 

いまは、静かにお賽銭を投げ入れ、お礼をお伝えするのみです。

 

それからは護摩炊きの御祈祷を受けるのですが、今年はそれは受けずに御祈祷の様子だけを眺めて終えました。

 

かつては参道には賑やかに露店が出ていて、それも楽しみのひとつだったのですが、コロナ禍からはガラーーン。わたしが幼い頃からいらした、あの名物の『しょうが飴伸ばし』のオッチャン(親しみを込めています(笑))はご健在なのでしょうか。

 

こんな風に、わたしが幼い頃から(どちらかと言うとしっかりめに)親や目上の方々から教わって来た事、学ばせてもらって来た事、わたしはどれだけ子供たちに伝えれているのだろうかな。

 

日々の作法。

季節の行事の迎え方。

伝統行事の迎え方。

人様への感謝の伝え方。

 

 

昨今は、イベント的にハード面は強化されているように思えますが、その内側、ソフト麺は簡略化されたり、意味の継承は、なされていなかったりするように見受けます。

 

こんな事を言うと、あたかも年寄りだからーーの扱いされるのでしょうね。

 

今の時代は、

楽しければいいのかな。

 

 

わたしは自分の子供以外にも、こころをかけているお子さん方が複数おります。

 

以前は我が子同然に全身全霊で向いておりましたが、あるとき、温度差を感じ、さみしさと悲しさを感じてしまい、じっくり自分をみつめた結果『あぁ、わたしが1人で必死に向きすぎてたんだな』と気付き、今はその思いの量や厚さをぐっと下げて向いていますが、それでもやはり、たくさんのこと、伝えてあげたいな、と思いこころを尽くしています。

 

 

お正月にはこんな風にするんだよ

七草粥、鏡開き、ていうのはね。

節分の意味はね。この食べ物を食べるんだよ。

お雛様にはこれを食べるよ。

端午の節句は菖蒲湯だよ。

桜餅は土地で違うんだよ。

土用のうなぎはね。

牡丹餅とお萩のちがいはね。

神無月てね。

暦はね。

冬至にはゆず湯に入るよ。

師走の意味はね。

お餅つきは29日にはしないんだよ。

しめ縄の意味はね。

 

 

これら以外にも、季節の食べ物、その調理の仕方、使用する食器の種類、焼きものの違い、キリがない生活の様々な事を伝え、実践をして来ました。

 

どのくらい、子供たちに響いたかはわかりません。

 

とりわけ、実子ではないお子さん達には通りすがりに聴こえる音楽のようなものかもしれません。

でも、その瞬間だけでも喜んでもらえたなら、それでいい、と思っています。経験値としてわずかでも残っていたら、なおありがたいです。

 

 

それに、今の世の中では

それらを知ったからと言って、どうなるわけでもなさそうです(^^)

その価値も美しさも、なくても生きてはいけるものたちですからーー。

 

でも

 

日々のささやかなメリハリと、

【特別】をよろこぶ心には、

 

とてもありがたいものたちなのではないかと、わたしはやはり、思っています。

 

 

来年も、あびこ観音さまに詣れますように。