(加工なしなんですよ)
2022.1.25.です。
こころは、コロコロ、ころがります。
あんしんのほうへ、コロコロ
ふあんのほうへ、コロコロ
コロコロコロコロ、さだまりません。
さだまらないことを、「苦」(つらい、不快)と感じる人間は
どうにかこころを「落ち着ける場所」に収めたいと望みます。
(なにかに)没頭したり
瞑想をしたり
坐禅をしたり
修行をしたり
出家をしたり‥‥
というのは、きっと、そんな想いがあっての
行動ではないのかな、と思います。
(勿論ちがう場合もあられることでしょう)
コロコロ転がり、コロコロ変わるこころ。
厄介です。
それはまるで、
シャボン玉の表面に見える、ずっと動き続ける色彩のよう
流れつづける川の水面の波打つカタチのよう
どれだけ気に入った色カタチでも
それはまたすぐに、移ってしまう。変えてしまう。
どうやらその動きを止めることは、なんらかの病気などによって、その機能を失う以外は、なかなかに難しいことようです。
コロコロころがるこころが
厄介だなぁ、と思ったら
【コロコロころがるこころ】というもの自体を
我がから離し
「おもしろいなぁ。たいへんだなぁ。愉快だなぁ」
と、眺めるようにするーーー
ころがるココロをどこかに力技で定めるのではなく、
それを見る自分を変えてみることで、
その「苦」、「つらさ」や「不快さ」は
軽減、もしくは消滅、出来る。。。ような気がします。
うん
めちゃくちゃ、むずかしいな! 笑
かんたんじゃないでしょう。
だって、きっと、そうなろうとすることが
「修行」と呼ばれるものですものね。
快、も、不快、も等価値でも
やっぱり、快、で、
ありたいと思っちゃいますもの。フフフ〜
ボンジンズ〜、で、今日も生きております。
(凡人ズ〜)