(見守られて)
2022.1.21.です。
言った方、言われた方
投げた方、投げられた方
想いには、隔たりがあることが多いです。
親子とて、兄妹とて、夫婦とて、親友とて、
別の人間が、別のいのちで、それぞれに幾千幾万の想いを湧かせ、抱き、成り立って来たカタチから発する言動を、他者が寸分違わず正しく受け取る事は、奇跡に近いほどに難しいです。
受け取り、喜んだその中身は、
本当はまるで違う色を持ったものかもしれないし、
それを見て、悲しみ嘆いたその中身は
本当はまるで真逆の幸多い出来事であったのかもしれません。
人と人とは、本当には分かり合い切れない。
悲観論ではなく、
ただ、現実論として、そうでしょう。
でも、
だとしても、
ひとは、ひとと、分かり合いたいと、思います。望みます。(そうでない人もおられるでしょうが^_^;)
かつてのわたしが切望し続けたように
「0-100 で、すべて100正しくわかり合いたい!」の望みは、
この世界では【叶うものではないもの】なのだと、
この年齢までチャレンジし続けて、ようやくわかったこのわたしは、
いまや、すっかり、あきらめがつきました。( ◠‿◠ )
むり、だ、それは。 と。笑
やっと、です。
はい、やっっっっと、です。 笑
他者のこころの発動の本当の中身など、
8割分かれば上出来で
「それで充分ヨシ」のこころを持ち得ないと
この世界で、こころ安らかに、人と生きて行くことはとっても、とっても、苦しみでしかなくなることを
ようやく、知れた、わたしでありました。
そんなわたしが「さらに良いな♪」と望むのは
【しあわせな勘違い】を出来るチカラ。
これは、無敵とも言える、強アイテムのように
思えるわたしでございます。
ただし、
その人物のベースが成熟していないと、
周りに迷惑な存在になりかねないことが予想出来ますので、この武器は、生まれつきとても熟成した人物か、ある程度の経験や年齢を重ね、円熟した人間が持つことが、望ましいーー
のではないかとも、同時に思う、わたしでございます。。。
この世界は、ひとと関わり生きて行く場所。
願わくば、こころ和む関わり、こころ嬉しむ関わりを持って
生きていければ良い、ですね。