2022.1.10.です
記事のタイトルに、実は少し抵抗がありつつ書いた昨日のブログでした。
こころは、傷つくものです。
なんなら、
割れたり、壊れたり、閉じたり、します。
結果
痛んだり、苦しんだり、止まったり、します。
そしてそれらは、ほとんどが、「他者や起きた事象により」傷ついたり、割れたり、壊れたり、するもので。
つまり、【ダレカに】きずつけられた。
【ナニカに】壊された。
‥‥と、つい、思ってしまいますーー。が。。
実は、わたし達のこころを、直接傷つけたり、直接壊したりしているのは、
どうも、わたし達自身に他ならない、ということを
わたしは数年前に知りました。
それは、斎藤一人さんという有名なお方の言葉で「ハッ!」と目から鱗的にに気づけれたことなんですけれど。
「いいかぃ?こころは誰かに傷つけられる、てことは、ないんだよ」(一人さん風に読んでください(笑))
「もし傷付いたとしたら、それは、自分がやってんだよ。わかるかぃ?」(こちらも一人さん風に。)
その通り、ですよね。
びっくり。まさに.目から鱗。でした。
他者のどんな行動も、言葉も、事象も、
それを見て、聞いて、「どう感じたか」の自分が、
その判断をして、
「こころに傷を入れる」んですよね。
同じ行動や、言葉や、事象を見ても、
それを受け取る側が平気なら、傷はつかないし、壊れないわけで。
傷つく、壊れる、の判断をしているのは、他でもないわたし達自身の脳?こころ?意識?なんですよ、ね。
だから、
こころを守る、ということは、
自分が、こころを刺さない、殴らない、ように反応する。て事なんだと思うのです。
だから
心が傷つくのは
人のせい(したこと)じゃないんだ
自分のせい(したこと)なんだ、と。
わかっていても、傷つきます、わたしも
(⌒-⌒; ) 傷つけちゃうのか。
守ってあげるべき、己のこころを、
他でもない自分が、攻撃してしまいますよね、やっぱり。
「あんな事思われた」
「こんなことされた」
「そんなこと言うなんて」
と、
守るどころか、リフレインして、なんどもなんども攻撃をしちゃう。
守る術を、持ちたいな。
無闇に悲しまないで済ませたいな
過度に苦しまずにやり過ごしたいな
ーーーと、こんな歳になってもなお、
カンタンにこころ傷つけちゃうわけです。
わたしも、自分で。
深呼吸
深呼吸。
おたがいに、がんばろうね。
良い休日を過ごせますように。