(だいすきよ)
今日は2021年12月30日。
木曜日です。午前10時を回ったところ。
晦日ですので神社に参りたかったのですが、身体が重く行けそうにありません(^_^;)
昨夜は2〜3週間に一度来る、「寝るタイミングを逃し、朝まで起き続ける日」になりました。
眠れば良いのですが、どうしても思い立った事があり、こうしてブログを新たに始めることにしました。
「自分で表現すればいいんだ!」と当たり前の事に気付けたからです。
わたしはもうそこそこによい齢で、長く生きて来たわりに、本当のこころの自立が出来切れていません。「しっかりと自分の為に自分1人で行動し、何かを築いて行くこと」が、まだまともに出来ていないように思います。
夢見る夢子ちゃんのように、ずっと、ダレカやナニカを待ち、ダレカやナニカと共に在れることを唯一の望みとして生きて来てました。
自分じゃなく、ダレカやナニカに安心を求めたのですね。
しかも、相当に意味深く。
理想の【おかあさん】のような存在を、ずっとずっと望み続けて来たみたいです。(恥ずかしい)
あと何年か生きれるかわかりません。
『しあわせ』がどういうものなのか、わかりかけた時も持てたり、実際に「こんな世界があったんだー(๑>◡<๑)」と、満ち足りた瞬間も持てました。
でも、芯や底、根っこからの安心を望んでいる私には、それがダレカやナニカの対象があって持てたとして、安定度ばっちり!には、なりませんでした。
この世は、生きるということは、どうしようもなく『不確か』であることを確認することになりました。
外部要素でしあわせを得たとしても、それには何の保証も確定もないことを、はずかしすぎますが、ようやく知ることができたようです。
いっぱしのオトナとして、時には人様に訓示を垂れることもあるくせに、自分の安定は持ち得ていないーーー。あぁやだ、はずかしい(><)。
ダレカのさみしさや不安に寄り添いたくて、ダレカの悲しみや憎しみを取り去りたくて、「わたしがいるよ」と在りたくて、人に寄り添い続けて来たのは、本当は、自分が寄り添ってもらっていることをわたしはちゃんと自覚しながら生きて来ていました。
『とびきりのさみしんぼう』。
それが、わたしです。
ひとつ、ひとつ、薄皮を剥ぐように、自分を変えて行きたい。
そう思っての、自分のためのブログを、わたしは今日から書き始めます。
人の目に触れるかどうかはわかりません。
でも
わたしとおなじような人にみつけてもらえ、チカラを渡すことが出来たら、とっても嬉しく思うので。
自分のためのブログではあるけれど、どこかのダレカに届くといいな、と心を込めて綴って行きたいと思います。
始まりの日は、今日
2021.12.30. 防弾少年団のテテのお誕生日です。