2022.2.4.です。
今日は、亡き母のお誕生日でした。
亡くなった人におめでとう㊗️ということに
意味があるのかはわからないけれど
それでも言いたいです。
「おかあさん、お誕生日、おめでとう🎈」
さて
今日は、ついさきほど、気づいたことを記しておきたいと思います。
ことばには、ホントに重力がある、と言うことを
改めてしみじみ感じることがありました。
わたしの仕事の相棒さんが今日、
とつとつと自分について語り始めました。
それはやや寝ぼけていたのもあり、とても素直で純粋で無垢な想いの告白でした。
それを聴いていたわたしは、
その、清らかさ、軽やかさ、混じり気のなさ、そして無心さ、に、とてもこころが弛みました。
【ことばが軽い(重量がない)】
【かろやかな旋律(天使が舞うような)】
【疑いも、裏読みも、しようとはまるで思わない純粋さ】
内容は、『自分のほしかったものについて』だったのですが、
それはまるで、幼い2歳児が、こころのままに口にする、あどけない言葉たちとおなじだったなぁ、と
さきほど、ふと、気付きました。
2歳くらいまで?の、幼いこどもの発する
「このお花、かわいいね〜♪」
という言葉は、
ジャスト「かわいいね〜」オンリーの思いで発せられていて、
放たれた瞬間に、美しく消えます。
ただ、本当に、「かわいい」と感じ、言いたかっただけ。それだけ。なので。
少し年齢が行く5歳児ですら、発する同じ言葉には、別の意味合いが貼り付いている場合があります。
「このお花、かわいいね。」(欲しいな)
「このお花、かわいいね。」(わたしもほめてもらったから、ほめよう)
ましてや、それを発したのがオトナであるなら、さらなりのことで‥。
幼い幼い子どもの無垢なことばは
誰が聞いても、その言葉通り受け止める事が出来る、希少な希少なことばなのだ、と、
そこには他に貼りついた意図などなく。
影となる部分も、なく。
そういう言葉というものは
それが楽しい内容だろうと、悲しい内容だろうと、その瞬間放たれたその旋律は、とても、軽く、煌めいていて、後腐れのない、瞬間を生きる美しいものなのだ、と
さきほど、気付いたわたしであります。
オトナがそれを発する瞬間も、やはり美しいので、
わたしは、もっと、それに触れたいな〜
と、思いました( ◠‿◠ )